歴猫の八兵衛・放浪記  飼い主の影響で旅するにゃ

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正岡子規:野球が好き過ぎて野球殿堂入り!

2002年 なんと、正岡子規野球殿堂入りしていた!

こちらの年表のとおり、子規は明治17年の予備門時代にベースボールと出会い、熱中しました。守備は捕手だったそうですが・・・掛け声とか小さそうっ〜!

22年7月に、松山に帰省した時、バットとボールを持ち帰り松山中学の生徒らにベースボールを教えたと言われていて、この3年後、松山中学に野球部が創設された。
子規が創設に関わったと言われている。

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23年2月『筆まかせ』に「野球」と雅号を付け、幼名の升(のぼる)をもじって、のぼーると読ませている。これはまだ、ベースボールが野球と翻訳されてない時期。
 野球と翻訳されたのはこの4年後の明治27年。この偶然に、子規が喜んぶ顔が浮かんでくるようだ!

29年に「日本」新聞に連載された随筆の中では野球のルール、用具、方法などについて詳しく解説している。野球を読んだ短歌、俳句も数多く見られ、新聞や自分の作品の中で紹介した。

「今やかの三つのベースに人満ちてそヾろに胸の打ち騒ぐかな」

「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」
「まり投げて見たき広場や春の草 
「九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす 」 

野球が好き過ぎて、喀血により野球が出来なくなっても、バットを筆に変えても常に野球のことを思う子規。野球用語の翻訳案も創作・提示していたという。
これらのことが、野球の普及に多大な貢献をしたと言われている。

 

        2002年 新世紀特別表彰者 正岡子規

 

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