歴猫の八兵衛・放浪記  飼い主の影響で旅するにゃ

ご主人様が歴史が好きで、付いてくうちに、楽しくなってきたにゃ!みんなも一緒に歴史の旅にでるにゃ〜♪

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世界最古の”庶民の為”の公立学校 (岡山)

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春桜の頃、岡山備前市閑谷学校に行ってきたにゃ!
この写真に全く桜が写ってないけど・・・(笑)満開です。
閑谷学校は現存する世界最古の庶民のための公立学校(藩校)で、1670年江戸時代前期に、当時の岡山藩主:池田光政(池田家最後の姫路藩主)が設立した。

光政は、江戸初期の三名君と称されるほどで、その政治は質素倹約を旨とした『備前風』と呼ばれ、米どころでありながら、銘酒がなかったのはその為と噂されている。
また光政は、朱子学を嫌って陽明学•心学を藩学とし、1641年から日本初の藩校である北畠教場を開校している。

で、閑谷学校の建設命じられたのは、津田永忠
永忠は27歳の時池田家の墓の造営の総奉行に任命され、
   29歳の時、岡山城旭川から守るための放水路をつくり、
   30歳の時、閑谷学校の建設を任されました。
光政は、未来永劫この学舎が続くように学校用の田んぼ(収入)学校田も用意した。
この頃から、藩の財政を助けるため、新田の開発を進める。

   33歳の時、光政の隠居後、閑谷学校の講堂(茅葺屋根)が完成。
   47歳の時、後楽園の造園に着手する。
   49歳の時、藩主の菩提寺『曹源寺』を造営。
   60歳の時、後楽園が完成。
   61歳の時、閑谷学校備前焼の瓦屋根)・石塀が築かれ現在の姿になる。
        御納所•椿山が造られ、光政の髪や爪が収められる。
   65歳の時、閑谷に隠居し、68歳で亡くなる。

津田さん菩提寺や墓までも任され、今も残される名園後楽園・閑谷学校と建設されて、すごいですね〜。

 

さらに、閑谷学校のすごいのは、木造建築なのに350年近くも建て替えされずに当時のままってのが、すごい!光政がずっとこの学校が使われることを願ったのを叶えているようだ。

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聖廟から。楷の木ごしの講堂
(紅葉の時期には左の楷の木は赤・右の楷の木は黄色になるらしい。見たいな〜)
講堂内

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国宝なのに、講堂内を歩ける♪ 
飲室の炉の縁には炭はいいけど薪はダメって彫ってあったよ。火の用心!
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陽が当たる所と、当たらない所の床の劣化の違いを歩いて感じてみれる。
350年、風雨にさらされていながら、木が剃ったりしないのがスゴイ。
右の写真は講堂から学房跡に向かう細道。右が石塀(丸みがあり、半分地下にあるらしい)左が火除山と呼ばれるこんもり綺麗な古墳のような造り)

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  学房跡から火除山の写真。このあたりと駐車場は桜が満開。

 

椿山・御納所

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椿山が素敵でした。400本近いヤブツバキが植えられていて、その先にこんもりした御納所が見えます。新春ころに来て、たくさんの椿の下でボーっとしたいですね。
木のコブが、サルに見えると言われている椿。探してみてください。
サルの名前は『申申』だったような。(笑)

↓学校案内図 おすすめの季節
  椿の咲く頃(椿山•資料館)・桜の咲く頃(学房跡)・楷の木の紅葉の頃(聖廟)

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