戦国時代を渡り歩いた三大茶器(天下三肩衡)のゆくえ。
堺商人から「名器狩り」と恐れられた信長は、すでに50個以上のの自慢の茶道具を持っていた。しかし、三大名器の残り一つの「ならしば」。これは、博多の豪商:島井宗室の元にある。その宗室が6月2日迄、京に居ると言う知らせが信長の元に!
信長は、本来なら軍の準備に日を要し出発は6月5日頃を予定していた中国行きを一週間早め、軍を持たず少ない供と自慢の茶道具を持って京都に入った。
そして本能寺の変の前日。本能寺において公家たちを集めて茶会を開いた。
どうしても、「楢柴」が欲しかったからだ・・・。
この茶会で、宗室と商売の保護とを交換条件に約束を交わす。(コンプリート間近!)
しか〜し!叶わず。
でも、テレビでよく見る本能寺の変。燃えてるよね〜。なんで、見事に無事なん?
「新田」は大阪の陣で割れたり・黒くなっちゃったりしたらしいけど・・・。
この事件、この茶会、堺の商人が関わっているとかも言われている。
この時、利休は家康をもてなすために堺にいた。
戦国武将をも魅了した三大名器(年表)
茶道をしていない人にとって、ただの壺だと思うけど・・・。
これで、国が買える。数億円の価値があるらしい。わかんな〜い。
でも、大阪の陣で褒美にこの名器「初花」を貰った忠直は、正直こんなん
うれしくね〜よと怒ったとか。(笑)わかる〜。
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