陰陽師の里で、安倍晴明との対決!
播磨には、陰陽師のゆかりの地が多く・陰陽師の里と呼ばれる地もある。
播磨は雨があまり降らない土地柄が良かったとも言われるが、それより吉備真備・葦屋道満のお陰なのだろう。さらに緯度・経度も関係ありそうなのが興味深い。
陰陽師の物語で有名なのがこの話。
『蘆屋道満(あしやどうまん)と安倍晴明の対決①』
安倍晴明とライバルだった蘆屋道満は、晴明にも劣らない呪術を持つと言われ、晴明は藤原道長、蘆屋道満は藤原顕光のお抱えの陰陽師だったそうです。
左大臣顕光は、蘆屋道満に政敵・道長への呪詛を命じたが、晴明にその呪詛を見破られ、主人からの信頼を失った失脚した道満は播磨に戻され。それから晴明は、播磨守になるんです。監視のために。
・蘆屋道満は、播磨の民間陰陽師集団(加古川出身)
・安倍晴明は、幼少から賀茂一族の門下生(大阪阿倍野区出身もしくは桜井市)
道満は、意地悪おっちゃんで、晴明は凛とした若々しいイメージだけど、道満が生まれた加古川の生家の跡には寺院があって、そこには天徳2年(958年)に生誕したとなってる。
晴明は延期21年(921年)だから、って反対になってる〜。それも、37歳差。
さらに、晴明は40歳で、天文修得生(まだ学生)になって50歳頃天文博士とあると、なんかイメージと違うにゃ!ま、貴族的な人と一般人は、見た目に美しさが違うかなぁ〜。
一方、道満は、播磨の民間陰陽師だったのを京から引き抜きに合う。
それだけ、優秀だったんやな。当時の播磨・備前はかなり陰陽師の本場で、「播磨では僧侶でも陰陽師の格好をしなければ、話もできない」との逸話があるとも聞くにゃ。
二人がそこまで強くなれた逸話が何個かある
①吉備真備という人物が、唐で常に安倍仲麻呂に助けられていた。一緒に帰国するが、仲麻呂の乗った船は遭難し、真備は無事都についた。そこで安倍家に、唐から持ち帰った本を礼として贈った。その本が『金鳥玉兔集』という。
②京にのぼった道満は、晴明の妻と不義密通となり、「金鳥玉兔集」を見つけて、盗み見て身につけたという。これを知った晴明はこの本を口伝がなければ、わからないように「簠簋内伝金烏玉兎集」とう書にまとめた。
いっぱい、あるが、上記2個の共通項は、「金鳥玉兔集」。
これが、すごいってことだよね。
・金鳥とは・・・太陽の化身と言われる三本足の金の鳥
・玉兔とは・・・月に住むと言われるウサギ。(月の象徴)
金烏は太陽に棲むとも太陽の化身とも言われる三本足の金の烏であり、太陽を象徴する霊鳥。玉兎は月に棲むとも言われるウサギで、月の象徴。
すなわちこれは陰陽だ!
(三本足の鳥って・・・八咫烏?でも金色じゃなくて黒だよね〜。ま、いっか。)
この本を、最初に日本に持ち帰ったのは、吉備真備(岡山県人)と言われてる。
帰国後に兵庫県姫路市の広峰山に神社を建てている。→こちら。牛頭天王を祀る。
それまでの陰陽道は?といわれると、多分陰陽道の1部だったのではないのかと。
なんせこの本は、5巻もあり。渡来人も多かった役所だから、本はなくとも勉強はできるし、最初は2巻しかなかったとも言われてる。
・1巻:方位学(牛頭天王・蘇民将来・八王子の誕生について)
・2巻:暦の吉凶(五行・十干・十二支について)
・3巻:1、2巻の応用編
・4巻:造屋編:(建築・家相占い・風水について)
・5巻:宿曜占星術・・・・・・・・・・虎の巻といわれる五巻
でも、そんなすごい感じがしない・・・。からぶり感がいなめない。(ま、いっか。)
時代的に、日食とかハレー彗星に心臓バクバクしてた時代だから、それを予言できたら神みたいだもんね〜。それが5巻なのかな?
今は、当たり前になってるからかなぁ〜。
でも、密教(代表:空海)や戦国武将(代表:信長・家康)にはすごく関わっていったみたい。
呪詛対決には続きがあって、
『蘆屋道満(あしやどうまん)と安倍晴明の対決②』
播磨の佐用に移された道満は、ここでも京の道長に呪詛を続けた。これに気がついた播磨守の晴明が佐用に赴き、再度、決戦!
(陰陽師は、一回目は閉じ込める。二回目は刺して殺すが基本みたい)
大木谷を挟んだ東西の丘に対峙して、呪詛合戦。三日三晩死闘を繰り広げ、道満が力尽きて敗北し討たれてしまう。
でも、この話、書かれてたのがあの「金鳥玉兔集」の序章の部分だとか。晴明自ら、書き加えたとの逸話もあり、ど〜なんだろ。
・槍や矢が飛び交ったとされる「槍矢橋」 標識の前にあり、真ん中あたりにある。
安倍晴明の塚の前にある看板。晴明の方が人気ある感じ。地元の道満頑張れ〜!
・道満の首を洗ったとされる「おつけ場」
・東西の丘の上に立つ塔「いぶし晴明塚」「道満塚」
ちなみに、2つの塚は違う方位を向いています。(陰陽師だけに方向には要チェック)
道満は西:「西方浄土」とも言われますが、京都を背にしているとの見解も。
晴明は南:「君子南面す」からか南を向いています。
さらに、この塚は京都の晴明神社と緯度が全く同じ(北緯35度)なんだって。
さらにさらに、敦賀・京都・大阪の三つの晴明神社も一直線にあるって話だ!
なんの為に?結界でも?
さらに、さらに、さらに、兵庫県には子午線が通っているの忘れてにゃいかい?
測った人によると、この子午線(東経135度)が京都の晴明神社と晴明塚がちょうど真ん中に位置し、どちらからも64Kmだったそう‼︎
子午線が、陰陽師の里と繋がってたら・・・またスゴイのになぁ〜と思いつつ。
でも、昔の人ってすごいな〜。まだ正確な地図が無いのに、どうやって真西とか割り出せるんだろう。
塚のある谷は陰陽師の里と呼ばれ、今は『乙大木谷の棚田』として「日本棚田百選」にも選ばれていて、絶景‼︎↓冬に訪問したので、棚田の美しさが・・・。また、行きます。
しか〜し、二人の中は、悪かったわけではないらしい。陰陽道は極端までも二元論。
陰 か ? 陽 か ?
しかないらしい。このどちらかが優位になっているだけで、全てを受け入れる。認める。
ちょっと、インドっぽい。
Q.なぜ、陰陽師は穢れを相手に出来るのか?恐れないのか?
不思議だにゃ〜。(あ、日本人ならだけど・・・)
A.答えは・・・
神様・仏様を信仰して無いから。(だって。信じらん無いっ!)
存在するものには、陰と陽があるだけで、それは善も悪も無いから。
だから、邪魔だと言われれば、大きな岩で閉じ込めたり
井戸に追い込んでフタしめる的な手段を使う。
で、それでも暴れる奴は、刺しちゃう。
ただ、それだけらしい。
その時に現われる物を、式神とか言うんだけど、
これは、人の心の中にも存在するいいやつ(和御魂)と悪いやつ(荒御魂)も同じでそのどちらかを陰陽師の呪詛とかで使うらしい。ってことで、善悪ではないのかぁ。
心に悪いやつ出てきても、理性って重しで、抑えるもんね。これと同じかも?
あ・・・・。
荒御魂って、伊勢神宮の奥とかにあるよね。正殿と同じ神様って言われた。ツナガル〜。
唯一、願い事聞いてくれるって方だけど、悪いやつなのに、荒ぶる方なのに、どうしてこっとの方が、私たちの事聞いてくれるんやろ〜?
そこは、わかんないな〜。まだまだじゃにゃ〜。
伊勢で思い出した!
女子旅なら必ず行く!と言われるあのっ伊勢のパワースポット! 石神さん‼︎
いや〜つながるつながる〜。 ↓これ見たことない?