歴猫の八兵衛・放浪記  飼い主の影響で旅するにゃ

ご主人様が歴史が好きで、付いてくうちに、楽しくなってきたにゃ!みんなも一緒に歴史の旅にでるにゃ〜♪

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豊臣秀吉

利休の生涯:信長・秀吉の元で茶の道を極める。

1522年 堺の商家(屋号「魚屋(ととや)」・田中与兵衛衛の子として誕生。 幼名は田中与四郎。祖父の田中千阿弥は室町幕府の8代将軍足利義政の茶同胞をしていた。父は堺で高名な商人で、店の跡取りとして品位や教養を身につける為に、16歳で茶の道に…

『チェック!』覚えてるかな? 秀吉の滝登り人生。

Q,数字の箇所はわかるかな?(23問) 答えは、下にあるよ。 1537年 0歳 誕生。 1554年 17歳 *1に仕える。 1561年 24歳 *2の養女(高台院)と結婚。 1568年 31歳 観音寺城の戦い。 1570年 33歳 金ヶ崎の戦い。 1573年 36歳 羽柴姓…

秀吉の『鯉の滝登り』人生年表。

1537年 0歳 誕生。 1554年 17歳 織田信長に仕える。 1561年 24歳 浅野長勝の養女(高台院)と結婚。 1568年 31歳 観音寺城の戦い。 1570年 33歳 金ヶ崎の戦い。 1573年 36歳 羽柴姓に改姓。小谷城の戦い。 1575年 38歳 筑前守に…

なぜ、死後300年経った秀吉に正一位が贈られたのか?

秀吉の年表を見てみると、38歳で筑前守という官位を授かって10年後、正五位下・左近衛少将からトントン拍子に、従一位までの官位を登って行った秀吉。平安時代までは正四位までが武士の限界やったのに。すごいにゃ〜 最高位の「正一位」は歴史的に見ても…

秀吉・官兵衛とともに中国平定。そんな中、村重が・・・。

◆秀吉とうとう中国に乗り出す。 姫路の黒田官兵衛が、都で感じたこと。それは、これからは信長の時代だと。戦国の世を終わらせるためにも・・・ 1577年4月 毛利氏が播磨(英賀)に上陸。 官兵衛の兵500兵が、5000の毛利兵に奇襲し勝利する。この後、小寺の…