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歴猫の八兵衛・放浪記  飼い主の影響で旅するにゃ

ご主人様が歴史が好きで、付いてくうちに、楽しくなってきたにゃ!みんなも一緒に歴史の旅にでるにゃ〜♪

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正岡子規 最後の六畳間の世界(根岸)

根岸・・・と聞くだけで、東京下町。
根っからの江戸っ子が今も住んでそうな街の響き。
正岡子規が、どんな人か、何をした人かわからない人でも、ちょくちょく正岡子規って名前を聞くと思う。
若干34才でこの世を去ったのに・・・なぜこんなにも名を残しているのか?

今の東大に入る前に、吐血したことがきっかけで中国の故事「杜鵑の吐血」にちなんで俳号を子規(ホトトギスの漢字表記)と号した子規は、とても交友関係が広く、またその人柄からいつも子規の周りに人が訪れた。
その子規が、新聞社に勤め始めて根岸に住み。最後を過ごした家を尋ねてみた。

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↑ガラス障子:外出出来ない子規の為に、障子をガラスに変えらていて、
机も足を曲げれなくなった子規の為に足が立てれるように作られている。
友人・知人の協力があったからこその風景がまだ残っていて、一番いい部屋を子規に使わせている家族の温かさが感じられる。

        思わず、何かに感謝したくなった。f:id:quucyan:20160523153635j:plain

 

↓子規の病床に、幼馴染の秋山真之が訪ねてくるシーン『坂の上の雲より』
秋山真之とは故郷松山の幼馴染みで家族付き合いのある親友。秋山や文壇に多くの友人・知人・弟子がいたからこそ俳句の世界だけではなく、多方面で影響を与え、子規とは何をした人なのか?と不思議になるくらい生きた証・生きる強さが語り継がれて現在にもファンが絶えないのだろう。

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そして、現在の子規庵。
昭和20年に空襲で焼失したのを、隣人であり高弟の寒川鼠骨ら門人等の尽力により昭和25年にほぼ当時のままの姿に再建されているそうです。中の写真撮影は禁止でしたので、写真は入り口まで。
この区画に、日本新聞社長の陸羯南や寒川が住んでいたのかなぁ〜。

ここで、羽二重餅いっぱい食べたんやろなぁ〜と、いろいろ妄想・・・。

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 ↑子規庵の玄関。写真が写せるのはココだけ。
小さいながら、いや、小さいからこそ・・・外への憧れを感じさせる空間。
(利休の待庵のような、同じ空気感を感じた)それでいて、居心地がいい。

 私も、誠意一杯生きないと・・・ね。

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