歴猫の八兵衛・放浪記  飼い主の影響で旅するにゃ

ご主人様が歴史が好きで、付いてくうちに、楽しくなってきたにゃ!みんなも一緒に歴史の旅にでるにゃ〜♪

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利休の生涯:信長・秀吉の元で茶の道を極める。

 

 1522年 堺の商家(屋号「魚屋(ととや)」・田中与兵衛衛の子として誕生。

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  幼名は田中与四郎。祖父の田中千阿弥は室町幕府の8代将軍足利義政の茶同胞をしていた。父は堺で高名な商人で、店の跡取りとして品位や教養を身につける為に、16歳で茶の道に入る。
1539年 北向道陳、武野紹鴎に師事し、ともに茶の湯の改革に取り組む。
(17歳) 今井宗久も同じく紹鴎に師事していた。   
1540年 宗易と名乗る。
       「和敬清寂」をもとにした茶道を完成させる。
1569年 信長による「堺」支配。軍資金を出させ鉄砲の供給地とした。
(48歳) 当時、堺は貿易で栄える国際都市で、京の都に匹敵する文化の発信地。
      また堺は、戦国期にあって大名に支配されず、会合衆(えごうしゅう)と
      よばれる商人が自治を行い、周囲を壕で囲って浪人に警備させる
      という、小さな独立国だった。多くの商人は同時に優れた文化人でも
      あり、その中の今井宗久というものの誘いにより信長は茶の湯に目覚め
      てしまい、利休と同じく紹鴎に習い”名器集め”にも没頭してしまう。
      →本能寺の変に影響?(公家達と仲良くなる手段か?)
      そんな堺から信長は強制的に名品を買い上げ武力・政治力だけではなく
      文化の面でも覇権を目指し、茶会の開催も信長の許可を与えられた家臣
      にしか許されなかった。
1570年 千宗易・信長の前で茶をたてる。
(49歳) 信長に茶の腕・目利きを買われ、茶頭として雇われる
1582年 本能寺の変織田信長が討たれる。
(61歳) 6月13日 京都・山崎の妙喜庵で戦況を見守る。勝利の知らせを聞き、
      秀吉が陣を敷く宝積寺に赴き、寺へと招いて茶をたてた。宗易は秀吉が
      天王山に築城の同時期にこの妙喜庵に茶室(待庵)を建てた。
      この待庵は現在もこの妙喜庵にあり、各地に残る利休好みの庭や茶室と
      言われる中で唯一現存する茶室で、国宝になっています。
         残念ながら、待庵は非公開ですが、近くの歴史資料館に実物大で復元展示されてます。
1583年 秀吉の茶坊主に取り立てられる。
1584年 大阪城内に茶室を開く。秀吉から3,000石を受ける。
1585年 宗易、秀吉の正親町天皇への禁中献茶に奉仕しこのとき宮中参内する
(64歳) ために居士剛「利休」を勅賜される。
1587年 北野大茶会
(66歳) 黄金の茶室の設計をする傍ら、草庵茶室・楽茶碗などわび茶の完成に
      向かう。
「わび茶」が知れ渡り、全国の大名が利休に弟子入りする。聚楽第に屋敷を構える。
屋敷は晴明神社境内にあり、近くには「晴明井」や白峰神宮の「飛鳥井」「潜龍井」などの名水が近くにある。近所には、黒田官兵衛(この時如水)などが住み、よくお茶会をした。名残に如水町がある。
1590年 利休、秀吉の小田原征伐に従う。
1591年 2月13日 秀吉の命により謹慎処分を受け、堺に帰る。
(70歳)   2月28日 京都に呼び戻され聚楽屋敷内で切腹を命じられる。
      屋敷は上杉景勝の軍勢で囲ませ、利休の首は一条戻橋で梟首された。
      賜死の一因ともされる大徳寺山門上の木像に踏ませる形でさられたと
      言われる。
   現在も、利休忌は3月27日及び28日に大徳寺で行われている。 

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茶杓 泪』切腹を命じられた利休が、自ら茶杓を彫り最期の茶会に用い古田織部に与えた。その後、織部は茶杓の為の漆の筒を作り、長方形の穴を作り、その窓を通して茶杓を位牌代わりに拝んだと言われている。茶杓は白竹の有腰で利休の茶杓の中でもとくに薄造りにできている。(徳川美術館)  

なぜ、利休は切腹させらせたのか?  f:id:quucyan:20151015104231p:plain

今までに伝えられている理由。
①何もしてないのに人気の利休が悔しいから。
②利休の娘に振られたから。
③正論すぎる。疎ましいから。
大徳寺の利休像が上から秀吉を見下ろしているから。
⑤性格が真反対(絢爛豪華VS質素倹約)だから。
⑥秀吉の秘密を指摘したから。
⑦自分に頭を下げないから。

 結局、頭を下げれば許されたと言われているから、せめて、利休が秀吉に頭を下げる態度を常に持っていたら、①から⑥があっても、許せたのだろうにね〜。

 

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