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歴猫の八兵衛・放浪記  飼い主の影響で旅するにゃ

ご主人様が歴史が好きで、付いてくうちに、楽しくなってきたにゃ!みんなも一緒に歴史の旅にでるにゃ〜♪

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城内にお城が二つあったの? 大阪城(NO.59)

先日9時の開館と同時に、沢山の観光客であふれ始めた。この大阪城は昭和6年(1931年)に復興したもので、外から見るより中は残念な作りになっているのは否めない。

当時の絢爛豪華さが…鶴がちょっとひ弱な感じがする〜。
ただ、この堀の大きさ、石垣の石の大きさはピラミッド以上ではないかと思う。(見たことないが…)

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この大きな石。とは行っても中ぐらいであるが。
写真に、通常の大きさと分かりやすいのを選んだ為。大きいのは、写真に入りきらず、
反対に、大きさがわかりずらかったのだ。この辺に見える石垣は、江戸時代。徳川の代になっての献上の石。た・確かに、戦時中には運べない大きさだ!

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大阪城の歴史

信長時代は石山本願寺
1532年 山科の別院から石山本願寺となり、僧侶の武装化が本格的になる。
1570年 石山合戦が始まる。
1580年 石山合戦和睦
      信長は、この三方を川に囲まれた石山本願寺の立地を高く評価し、
      本能寺の変の頃には、津田信澄にここを見張らせておいて、
      後にさらに大きな城を築く予定にしていたようだ。
1582年 本能寺の変

秀吉時代の大阪城

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1583年 大坂城築城着工。(この頃は大坂だったそうだ。)
      初期:1日のべ2・3万人
      後期:1日のべ5・6万人
      (この頃の第二の都市、堺の人口:5万人。)

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      本丸だけの土木費で545億なら、その3倍はかかりそう!
      本丸が完成した後、秀吉は大阪に移るが、さらに亡くなるまで工事は
      続いたそうです。

1598年 秀吉の死
1600年 65万7千400石の1大名に転落。
1614年 方広寺鐘銘事件・冬の陣(砲弾により一部崩壊)
1615年 夏の陣(すっかり焼けてしまう)
これは有名な大坂夏の陣図屏風』(現大阪城のモデル)官兵衛の息子・黒田長政が戦勝記念に部下の黒田一成(武士だよね?)に書かせたという屏風。(アップで見ると、一人一人の表情もさることながら、家康や幸村も書かれていてスゴイんです!)で、ここで注目したいのは、城内。
もちろん、黒いお城が大坂城。その手前の4層の屋根が見えるのが、西の丸もとは迎賓館な場所だった。
秀吉が無くなった後、家康は秀頼の後見人として大阪城に入り、ねねが居たこの西の丸に入り天守閣を勝手に作った。この頃は、2つのお城があった貴重な時期。

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      松平忠明大坂城下の復興を命じられる。(城は手付かず)
1619年 松平忠明大和郡山へ移封。
      大坂藩を廃止して直轄領(天領)とする。
1620年 徳川秀忠による工事。
      豊臣の名残を消し去るように、大きく、白い城を築城した。
      各大名に担当区域が決められた為、大名は競って大きい石(分かりやすい
      ように家紋入り)や貴重なものを調達した。
1629年 大阪城、完成。 

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徳川時代大阪城

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1660年 煙硝蔵に落雷。
      82tの火薬・鉛弾約43万発・火縄3万6千本・家屋1500棟が倒壊し
      煙硝蔵を石造りに。→現存(2016年6月まで内部特別公開中)
1665年 落雷により天守が焼失。(天守がないまま放置)

1868年 12月9日 王政復古慶喜が二条城より移る。
          (250年振りに徳川家が大阪城入り)
        1月3日 鳥羽・伏見の戦いで敗北・江戸に退却。出火による焼失。
            新政府軍に明け渡し。  

現在の大阪城
1925年 大大阪記念博覧会の会場となる。(日本随一の大都市)
1930年 昭和天皇即位式の式典の記念事業として焼失以来約270年間無かった
      天守閣の復興が議会で可決され翌年再建が始まる。
      復興天守第1号。
      寄付金の募集金額150万(現在の600,700億)がすぐに集まったが、
      当時大阪城内は陸軍の軍用地であり、寄付金の6割は軍に充てられた。
      

大阪夏の陣図屏風が、現大阪城のモデルになったが、天守閣の外壁鳥獣画の鷺(サギ)は鶴になっており、また4階までは、徳川時代の白塗りで、5階は豊臣時代をモデルにしているところは面白い。

 

1995年 平成の大修理(2年間)エレベーターが設置される。
1997年 国の登録有形文化財に。
2007年 外壁の塗り替え:より豊臣時代に近い黒塗りに。