信長の残した11人の子供達。
日本史の難しいところは、ごちゃごちゃになる!なったので、表にしてみたにゃ。
赤系の時代が、秀吉の配下もしくは引き取られて養育された時期。
色が濃くなるにつれて、秀吉の信頼が厚かったのではないかと思われる時期。
信長さんも、こんだけ産んどいたら、もうちっと織田家は安泰やと思うてたん違うかな〜。ことごとく、百姓出の家臣の羽柴姓にされて悔しいにゃろ〜な〜。
信長の11人の子供のその後・・・。
パッと見て、兄弟の順がヘン?
席次順:偉いもん順(結婚式とかで悩むあれと思って)
お母さんの家柄とか、信長に報告が早っかったとかで前後してるらしい。
家督争いまでした二人とも総見院に居ない?
これは、行って確かめたい!
総見院は織田家の菩提寺(秀吉が作ってあげた)だし、信長さえも、そこには居ない(見つからなかったから、木造の信長を二体作らせて、一体は焼き、もう一体はこの院に収められているという)のだから、名前くらいどこかにあってもよさそうに・・・。
三法師なんて、道沿いって、あんまりやん。
思いっきり利用しといて。イジメられてた高野山にも居たくないと思うで。
それに、本能寺の変で亡くなったのは3人。なのに、勝長はんは?
次の春の特別公開に行って来まひょ!(特別公開の時だけ信長はんに会えるそう♪)
家を乗っ取る為に婿に出す!
政略結婚って、そんなもんかな?②③④⑤と次々婿や養子に出している。
秀吉も⑤於次丸を信長から授かっている。これは、信長や他の重臣を安心させる為の戦略とも言われている。
この養子縁組は、ねねの希望だとか、信長の意思とか言われているが、どちらにせよ、於次丸が羽柴家に来たことは、秀吉にとってとても大きい幸運で、子が出来なかったことさえも、この時の秀吉にとって有利になっているのだ!(運の良い人だ〜)