なぜ、死後300年経った秀吉に正一位が贈られたのか?
秀吉の年表を見てみると、38歳で筑前守という官位を授かって10年後、正五位下・左近衛少将からトントン拍子に、従一位までの官位を登って行った秀吉。
平安時代までは正四位までが武士の限界やったのに。すごいにゃ〜
最高位の「正一位」は歴史的に見ても、生前に与えられたのはわずか6人しかいない。1891年に“太政官制最後の太政大臣”だった三条実美公爵に贈られたのが最後である。
ちなみに、残りの5人は巨勢徳陀・橘諸兄・藤原仲麻呂・藤原永手・藤原宮子。
勉強不足のせいだろう。なんか「ふ〜ん」って感じ。
いつか、この6人にしっかりとフォーカスしてみるにゃ。
やっぱり気になるのは、死後正一位を贈られた信長様と秀吉様達にゃ!
秀吉様は明治の亡くなった日に。
信長様は大正時代に「正一位」が追贈されている。
これは当時の政府が国会対策として貴族院議員だった元藩主たちの祖先に位階を奮発し、その流れで各藩の藩祖が仕えた信長、秀吉に最高位を与える必要があったという説がある。でもって、死後に追贈されたのも1917年、織田信長に贈られたのが最後になっている。戦後は「正一位」は1人もいないから現在、事実上の最高位は2番目の従一位とされてるにゃ。
その従一位も戦後、贈られたのはわずか6人。うち吉田茂氏、佐藤栄作氏ら4人が総理大臣経験者だそうにゃ。最高位を目指すには総理大臣を目指そう!
といっても、家格・官職・位階で複雑に格付けされている。親から譲り受ける官位は21歳になった時に引き継げるとか(蔭位の制(おんいのせい))。冠位12階から始まった制度は、時代の流れにより、官位の厳しさ・緩さがあり、何故あの人が!ということもあるが、足利義昭が従三位というのは室町時代の弱体加減が、見れて面白いと思う。
↓下図に、だいたいこんな感じということで、取り急ぎ表にしてみた。
今後、歴史的な人物を追加で記載していくつもり。
歴史の人物のこんな格付けも楽しいにゃ!
家格によっては、登れる官位はもちろん、最低官位も決まっている。