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歴猫の八兵衛・放浪記  飼い主の影響で旅するにゃ

ご主人様が歴史が好きで、付いてくうちに、楽しくなってきたにゃ!みんなも一緒に歴史の旅にでるにゃ〜♪

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国宝:現存する日本最古の城・烏城(N0,29)(松本城)

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国宝松本城
姫路城・彦根城犬山城松江城(平成27年)ともに5つ国宝城郭の一つです。
だって、立派ですもん!渋いっ!黒いっ!かっこいい〜!      f:id:quucyan:20151015104342p:plain
別名烏城(からす城)岡山城も烏城。こちらはう城と呼ばれています。

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【 築 城 の 歴 史】
文禄(1593〜1594)年間に建てられた5重6階の天守としては日本最古。
明治に廃城に決定になり倒壊寸前なところを地元に有志によって、保存運動がおこり、400年の風雨に耐え、戦国時代そのままの天守が保存されている。

 

松本は昔、深志とよばれていて小笠原氏の拠点だった。

1504年 小笠原氏、林城築城。このころ「深志城」(松本城の前城)も築城。

1520年 戦乱の世になり信濃守護家小笠原氏が本拠地を井川城から、
      山の中の林城に移転した。林城を囲むように支城を構え守りを固めた。

1550年 武田信玄により林城・深志城は落城。小笠原長時追放。
     (信玄による32年間の統治)信玄は深志城を拠点として上杉謙信らと抗争。

1582年 信長による武田氏滅亡後、武田氏遺領を巡る混乱の後、
      徳川家康の配下となった小笠原長時の子・貞慶が
      深志城を奪還し、松本城と改めた。

1590年 徳川家康が関東に移ると同時に、当時の松本城主の小笠原秀政
      下総古河へ移る。元家康の重臣だった石川数正が秀吉の命により、
      入城。2年後に死去。 
      その子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備をおこなう。
      (ここから、現在の松本城となるようだ)

1600年 関ヶ原の戦い(石川氏は徳川に戻る)

1613年 大久保長安事件により縁戚の石川氏も改易になり流罪。
      小笠原秀政が再び入城。

1615年 大阪城夏の陣で小笠原親子が戦死する。(小笠原氏は明石へ)

1617年 松平 康長(戸田松平家の祖)が入城。

大阪の陣以後は、松平康長や水野家などの松本藩の居城として機能した。

水野家の後は、戸田松平家(戸田氏の嫡流)が代々居城とした。
       (このころ、城下町の完成)

1726年 志摩鳥羽藩主だった戸田氏松平光慈が再入城。

1727年 本丸御殿が焼失。
      火災・引越し費用・藩主の度重なる死による借財が募り財政難に。

       ↓

       ↓

1871年 (明治4年)廃藩置県で松本県になる。
      城郭の諸門の破壊が始まる。天守は兵武省が接収する。
      筑摩県が設置され、二の丸御殿が県庁となる。

 

江戸になると、急につまらなくなって、はしょっちゃったよ!
でも、廃城になっても、現在まで残ってくれていることに、松本市民に感謝だにゃ〜。

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天井は井桁梁。二十六夜神という神様が祭られています。

関東の月待ち信仰が松本に持ち込ま れたのは、戸田家であり、古くから二十六夜神を祀って、藩士に酒肴をたまわる行事が伝わっていたといわれる。

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↓これが、天井を見上げると見える二十六夜神。

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  ↓ 松本城(深志城)と井川城・林城(大・小)の位置関係
      緑の印は、おすすめの散歩の寄り道で詳しくみてね。 

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