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歴猫の八兵衛・放浪記  飼い主の影響で旅するにゃ

ご主人様が歴史が好きで、付いてくうちに、楽しくなってきたにゃ!みんなも一緒に歴史の旅にでるにゃ〜♪

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間人・はしひと・たいざ・・・あいだの人?

間人皇后が亡くなられて、5年後には二代目の間人皇后が生まれています。
皇女・皇后は位ですから、同じ名前といってもいいと思いますが、近い親戚に同じ名前は絶対に付けないはずの天皇家がなぜか?
これは、固有名詞ではなくて、普通名詞だからでは?と推測されてるのだ。

1人目:聖徳太子のお母さん

穴穂部間人皇后は、聖徳太子の母で用明天皇の妻で、
太子が14歳頃に父、用明天皇が亡くなってから、太子の異母兄の田目皇子と結婚して1人子供を授かっています。もともと、用明天皇と間人皇后は欽明天皇の異母兄弟の結婚。母が違えば結婚は身内でも可能。けども…子供の異母兄弟と結婚だよね?
この当時、天皇は10代半ばで結婚するのが普通で、子孫繁栄と権力のために、歳をとっても、若い奥さん貰うのは当たり前なので、もしかしたら、田目皇子と間人皇后は、同じくらいの年齢で話もあったのかもね〜。

2人目:天智天皇の妹         f:id:quucyan:20151015104342p:plain
孝徳天皇の妻であり、斉明天皇の娘で、中大兄皇子天智天皇)の妹でありやす。
すごいですね。天智・天武兄弟の頃の結婚も最悪に複雑です。どろどろなんです。

どろどろを知りたい方は漫画「天上の虹」を。不明な所が多いため漫画は入りやすいです。Amazon.co.jp: 天上の虹(1) (講談社漫画文庫): 里中 満智子: 本


もしくは、こちらを(表にしてみました。推定年表です)
簡単に説明すると 、この間人皇女は、お兄さんと出来てた(まっ!)。
との、噂です。
異母兄弟なら結婚出来るんですが、母が同じなので、結婚出来ない。近すぎるっ!
中大兄皇子は、10代から実権を握っているのですが、天皇にならない。
なれなかった太子とは違って、ならなかったらしい。
その理由が、妹。天皇に即位するときには皇后を立てないといけないといわれていて、
それは、天皇に何かあったときのため、天皇に変わって君臨する立場。なので、皇后は皇族しかなれない。大好きな間人は、血統は申し分ないのに、母が同じなので結婚出来ない。間人以外に皇后は考えられないっ!だったらしい。
天皇より、皇太子の方が責任取らなくていいし、政治的に動きやすくていいからだったとの意見もあるにゃ!

二人の共通点

で、二人の間人皇后の共通点は?『不倫』らしい。
”現代でも「間男」という言葉がある。女なら「間女」ないし「間人」になるのではないだろうか(『逆説の日本史』第2巻 井沢元彦著)”
ってことは、聖徳太子のお母さんも、お父さんの用明天皇がいるにも関わらず、夫の子供として(恋人として)会っていたことになるね〜。や〜よっ♪
これを知った聖徳太子は、その時他にも悩みをかかえてて重度のストレスでノイローゼになって、道後温泉で数年過ごしたという噂がある。ショックだったんだね〜。

天智天皇は、孝徳天皇に嫁いでいた間人皇后を連れ去って遷都したし、お母さんの斉明天皇の後を継いで天皇に即位するんだけど、その間6年ほど空いている。殯(もがり)にしては長いし、間人皇后が亡くなった後に、天皇に即位してるんだよね〜。
なんか、詮索したくなるね。男の愛?

 

丹後半島:間人と書いてたいざと読む理由。

 間人皇后・聖徳太子母子像(はしうどこうごう・しょうとくたいしぼしぞう)

 聖徳太子と、その生母である間人皇后(別名:穴穂部間人皇女 あなほべのはしひとのひめみこ)が寄り添い日本海を見つめている母子像。大和政権の争乱(蘇我氏物部氏)を避け、今の間人に身を寄せた間人皇后は都に戻る際、お礼として自分の名を地名として送りました。 しかし「皇后の名をそのままお呼びするのは畏れ多い」ということで皇后の退座にちなみ、「間人」の読みを「たいざ」としたそうです。

間人皇后・聖徳太子母子像