みんなが欲しがる征夷大将軍の地位 ‼︎
◆征夷大将軍って良く聞くけど・・・どんな地位なの?
「征夷」とは東の夷(異民族)の意味で、蝦夷(東北地方)征伐の最高司令官ってことで、戦場での天皇の代理人との意で、天皇による任命。
なので、西や北も担当の将軍が置かれたみたい。
西:九州方面・・・征西将軍(鎮西将軍)
北:日本海側・・・征狄将軍(鎮狄将軍)
歴代の征夷大将軍は、720年からで、坂上田村麻呂・藤原忠文(平将門の乱鎮定)・源義仲(清和源氏:源頼朝討伐の名目)源頼朝(清和源氏)らが征夷大将軍についた。
源頼朝が鎌倉幕府を開いてからは、武家政治を行い、武士の棟梁という意味合いが大きくなった。
源頼朝以後、征夷大将軍は、(清和)源氏の一族しかなれないとなったとか・・・。
その為、信長(平氏)も秀吉(百姓)も征夷大将軍になれなかったと言われるが、あえてならなかったという説もあるが、家康はわざわざ源氏となり征夷大将軍ついたとされることから、源氏の一族しかなれないと言われるのかもしれない。
ただ、家康は、かなり頼朝を崇拝し、「吾妻鏡」を熟読していたらしい。
◆征夷大将軍は、みんな幕府を開けるの?
征夷大将軍は、臨時の軍政を行う権利があったので、この軍政を行う臨時組織が幕府であり、そのトップが征夷大将軍だったってこと。
つまり幕府とは非常事態において政治を行う臨時の役所ということだね。
役所といっても、今でいう会議室・応接間。
鎌倉時代には、この非常事態が日常化してしまった。これが、鎌倉幕府である。
なので、「今日から鎌倉幕府開始だよ!」って言ったわけでないから、全国的に守護地頭を置いた1185年や頼朝が征夷大将軍に就いた1192年などといろいろ解釈があるみたい。
「今、日本は戦争で非常事態だから、貴族に変わって武士が臨時に政治を行う」
↓
「貴族に変わって、武士が臨時に政治を行う」
↓
「天皇の命により、政治を行なう者」
という意味のようになって、
江戸になると本来の意味が薄まって征夷大将軍=武士の棟梁というイメージが完全に出来上がってしまってるよね。
これは、貴族が武力を持たなくなってから、結果誰か(武士)に助けてもらわなければならないことに起因すると思う。
これが進むと・・・・
↓
「尊皇攘夷」聞いたことある言葉・・・。
王を尊び、夷を攘う(はらう)
今度は、征夷大将軍が夷(異民)となる現象が起きるのです。おもしろいですね。
詳しくは、幕末で。
嫡流の方がもちろん本家と言われて格が高いが、どちらも征夷大将軍にはなれる。
信玄がなっていたら・・・どんな政治が行われていたのだろうか?
◆三代で終わりかけた鎌倉幕府
征夷大将軍が5年で頼朝・頼家・実朝と亡くなり(幽閉・暗殺等により)北条が実権をにぎることとった。
が、もともと北条氏は、平氏の血を引く豪族で、『源氏の長者』ではないため五摂家の一つである貴族の名家・九条家や、天皇の子、という古くからの由緒ある血筋の人に、形式的に『源氏の長者』の跡取りになって貰って、幕府を存続させたといわれる。
詳しくはまた。