歴猫の八兵衛・放浪記  飼い主の影響で旅するにゃ

ご主人様が歴史が好きで、付いてくうちに、楽しくなってきたにゃ!みんなも一緒に歴史の旅にでるにゃ〜♪

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江戸時代(幕末)

松蔭も西郷も訪れた学問所 弘道館 (茨城・水戸)

全国一の規模を誇る藩校 弘道館「一張一弛」 天保4年(1833年)初めて水戸に帰国した9代目水戸藩主徳川斉昭は、大日本史の編纂した彰考館を訪れすでに藩校建設に意欲を持っていましたが、天保の基金や藩財政の困難から反対意見も多く、1835年から5年間幕…

烈公と呼ばれた徳川斉昭の『尊攘』に捧げた一生。

唯一、『天皇のお味方せよ』と代々伝えられていた水戸徳川家。光圀(義公)からの大日本史編纂事業や江戸詰めで貧乏藩として有名だった。黒船来航により幕府ではななく、日本(天皇)を守るべき時が来た! 年表には『もうひとりの水戸藩士 著:水野哲太郎』…

黒船来航から始まる桜田門外の変。

安政の時代・・・全然安心できる政治ではなかった。 どんどん外国人は増えて行くわ、大きな地震が立て続け起こるわ。外国人が持ち込んだコレラが大流行して何万人も死んでしまうわ・・・この災難は、誰のせいなのか・・・。 井沢さんの書を参考に解説青:江…

無血開城:お墓からみる 最後の将軍慶喜の思い。

慶喜は、明治になって『徳川宗家』から別家として『徳川慶喜家』の創設を認めてもらったのを知ってるにゃ? 谷中にあるお墓に行ってみた。 なぜ、慶喜だけ谷中に眠っているのか不思議だったからにゃ!この問いは早々に解決!谷中霊園には都立谷中霊園・寛永…

野山獄と岩倉獄は、野山さんちと岩倉さんちだった‼︎

松陰が捕らわれたとして、有名な萩の野山獄。 なんで、偉いさんが入る方が野山なんだろうと不思議に思ってたら な〜んと、もともと藩士のお家だったそうで・・・。 野山さんと岩倉さん。 江戸初期二人に、何があったのか? 酔っ払った岩倉さんが、向かいの野…

楫取の名前の由来は三田尻の楫取り(船頭さん?)

江戸時代初期の小田村家は、参覲交代等の上方へ向かう萩往還の最終地、防府三田尻の水軍基地で働く操縦士の家でした。その家に養子に来た公望に、水軍の役人だった河野養哲が開いた越氏塾で住居や食事をもらい勉強までさせてもらったそう。(養子先では、両…

高杉晋作

『おもしろきことなき世におもしろく』 1839年 8月20日うまれ。 萩藩士高杉小忠太春樹・みちの長男(春風)として産まれる。 1857年 (19歳)のとき久坂に誘われ松下村塾に入門。(村塾四天王の1人) 1858年 (20歳)江戸遊学 1859年…

山岡鉄舟が愛したあんぱん:木村屋

山岡鉄舟。幕臣の超重要人物。そんな彼が愛したのは、 銀座木村屋總本店のあんぱん。あんぱん発祥のお店として有名な木村屋。当時売り出したばかりのあんぱんを気に入った山岡鉄舟は、明治天皇が花見をする際にこれを献上。明治天皇も気に入ったことから皇室…

江戸城無血開城はお寿司をつまみながら:蛇の目寿司

さて、山岡鉄舟の働きにより実現した幕末のターニングポイントといえば、新政府軍代表・西郷隆盛と徳川幕府代表・勝海舟の会談。 西から進軍してきた新政府軍は、いよいよ徳川幕府の本丸・江戸城まで、その標的にします。「抵抗を続けると、江戸城を総攻撃す…

山県有朋のお抱え料理人:小春軒

後に内閣総理大臣になりましたが、幕末当時は兄貴分の高杉晋作とともに、倒幕に向けてだいぶやんちゃをしました。山県有朋のお抱え料理人だった小島種三郎さんが開業したお店が、洋食屋の老舗、人形町の小春軒。店名の小春軒は、種三郎さんの妻「春さん」か…

松陰の志が育てた門下生:吉田松陰

寅ちゃんの門下生すごいよね〜。 まあ、そもそも志がある人達が集まったって言ってしまえば、そうだけど。 時代と思想のマグマが、寅ちゃんの狂った熱で爆発したにゃ〜! ーーーーーーーー門下生たちーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・久坂玄…

吉田松陰と小田村伊之助の一生。

1829年 3月 小田村伊之助誕生。 1830年 8月 4日、杉寅次郎うまれる。*1 1834年 吉田大助、病死。寅次郎、吉田家の家督を継ぐ。(4歳) 1838年 寅次郎、藩校明倫館の見習教授となる(8歳) 1839年 寅次郎、藩校明倫館で山鹿流兵学の…

知は人たる所以を学ぶなり。:吉田松陰

1830年生まれ 4歳で家督継いで、8歳で教鞭とってたにゃんて、どないにゃ? ペリーが浦賀に来た時、25歳で乗り込もうとして捕まったらしいにゃ! 海外行きとうて、行きとうてしゃーにゃいにゃ、寅ちゃん。 その後、萩の野山獄に入れられ、共に捕まった…