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歴猫の八兵衛・放浪記  飼い主の影響で旅するにゃ

ご主人様が歴史が好きで、付いてくうちに、楽しくなってきたにゃ!みんなも一緒に歴史の旅にでるにゃ〜♪

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正岡子規 最後の六畳間の世界(根岸)

根岸・・・と聞くだけで、東京下町。根っからの江戸っ子が今も住んでそうな街の響き。正岡子規が、どんな人か、何をした人かわからない人でも、ちょくちょく正岡子規って名前を聞くと思う。若干34才でこの世を去ったのに・・・なぜこんなにも名を残している…

烈公と呼ばれた徳川斉昭の『尊攘』に捧げた一生。

唯一、『天皇のお味方せよ』と代々伝えられていた水戸徳川家。光圀(義公)からの大日本史編纂事業や江戸詰めで貧乏藩として有名だった。黒船来航により幕府ではななく、日本(天皇)を守るべき時が来た! 年表には『もうひとりの水戸藩士 著:水野哲太郎』…

利休の生涯:信長・秀吉の元で茶の道を極める。

1522年 堺の商家(屋号「魚屋(ととや)」・田中与兵衛衛の子として誕生。 幼名は田中与四郎。祖父の田中千阿弥は室町幕府の8代将軍足利義政の茶同胞をしていた。父は堺で高名な商人で、店の跡取りとして品位や教養を身につける為に、16歳で茶の道に…

しち・はち・九度山〜(真田庵を訪ねる)

(南海電鉄HPより) 和歌山の観光マップ→ 関ヶ原の戦いで西軍についた真田昌幸と幸村は、兄信之のおかげで高野山に蟄居となりました。14年も過ごしたという九度山(和歌山県)。真田はどのようにココですごしたのでしょう?真田ミュージアムで勉強です。上…

空海の生涯と高野山のその後。

空海は仏教を極め今尚高野山に生き続けている。 774年 誕生 讃岐屏風浦に生まれる。本名:佐伯眞魚(さえきまお) 788年 15歳 都(平城京)に出て母方の舅に論語・孝経を学ぶ。 律令官僚を目指す。 791年 18歳 大学明教科に入学。 (地方出身者…

戦国時代を渡り歩いた三大茶器(天下三肩衡)のゆくえ。

堺商人から「名器狩り」と恐れられた信長は、すでに50個以上のの自慢の茶道具を持っていた。しかし、三大名器の残り一つの「ならしば」。これは、博多の豪商:島井宗室の元にある。その宗室が6月2日迄、京に居ると言う知らせが信長の元に!信長は、本来な…

正岡子規:野球が好き過ぎて野球殿堂入り!

2002年 なんと、正岡子規は野球殿堂入りしていた! こちらの年表のとおり、子規は明治17年の予備門時代にベースボールと出会い、熱中しました。守備は捕手だったそうですが・・・掛け声とか小さそうっ〜! 22年7月に、松山に帰省した時、バットとボール…

子規の一生:語り合う交友関係。

子規は、生まれてから亡くなるまで、沢山の人に助けられ短い生涯ながらも、沢山の人に影響を与えた人物です。寝込んでいても尚且つ人々が子規に集まるのはあどんな魅力からなのでしょうか。 ■仕事・生活の恩人:陸羯南(日本新聞社長) ■心の友:秋山真之(…

真田のゆかりの地:冬の陣の真田丸の真相。

真田山の位置は、大阪城にくっついていた出城のようだったと言われていたが、 先日のヒストリアでも検証していたが、少し離れた場所にあったようだ! 下に、現在の地図に、当てはめてみる。オレンジ色が河などを利用したMAXの大阪城(冬の陣の頃)。青色が今…

羽生君と晴明さんが出会った〜。知らなかったはわしゃだけか。

陰陽師の里(兵庫県佐用町仁川)を訪れた後、せっかくなので加古川の道満屋敷(現:正岸寺)を訪れてみたにゃ。 今は、式神を閉じ込めていたという、井戸もなくて、ワンワンに泣き続けられたので、ゆっくり拝観できませにゃんだ。が、ここに道満は住んでいた…

日本一の兵(つわもの):真田幸村の一生。

1567年 2月 2日 真田昌幸の次男として誕生。(幼名:弁丸) 1573年 4月12日 武田信玄病死する(7歳) 1582年 3月11日 信長の武田攻めが始まる。新府城を捨て当主と岩櫃城に。 しかし、譜代の小山田の進言により、岩山城に向かう。 小山…

信長の残した11人の子供達。

日本史の難しいところは、ごちゃごちゃになる!なったので、表にしてみたにゃ。 赤系の時代が、秀吉の配下もしくは引き取られて養育された時期。 色が濃くなるにつれて、秀吉の信頼が厚かったのではないかと思われる時期。 信長さんも、こんだけ産んどいたら…

『チェック!』覚えてるかな? 秀吉の滝登り人生。

Q,数字の箇所はわかるかな?(23問) 答えは、下にあるよ。 1537年 0歳 誕生。 1554年 17歳 *1に仕える。 1561年 24歳 *2の養女(高台院)と結婚。 1568年 31歳 観音寺城の戦い。 1570年 33歳 金ヶ崎の戦い。 1573年 36歳 羽柴姓…

秀吉の『鯉の滝登り』人生年表。

1537年 0歳 誕生。 1554年 17歳 織田信長に仕える。 1561年 24歳 浅野長勝の養女(高台院)と結婚。 1568年 31歳 観音寺城の戦い。 1570年 33歳 金ヶ崎の戦い。 1573年 36歳 羽柴姓に改姓。小谷城の戦い。 1575年 38歳 筑前守に…

なぜ、死後300年経った秀吉に正一位が贈られたのか?

秀吉の年表を見てみると、38歳で筑前守という官位を授かって10年後、正五位下・左近衛少将からトントン拍子に、従一位までの官位を登って行った秀吉。平安時代までは正四位までが武士の限界やったのに。すごいにゃ〜 最高位の「正一位」は歴史的に見ても…

不運な男:義経の一生!

こんな真っ直ぐな男やのに。家族の温かさが恋しかっただけやのに。不運過ぎるわ〜。強運なお兄ちゃんとは正反対! 不運① お父ちゃん2歳で亡くなり、家族離散。不運② 4歳の時お母ちゃん再婚。不運③ 7歳で一人鞍馬寺に出される。一人天狗と武術の練習。不運…

陰陽師の里で、安倍晴明との対決!

播磨には、陰陽師のゆかりの地が多く・陰陽師の里と呼ばれる地もある。播磨は雨があまり降らない土地柄が良かったとも言われるが、それより吉備真備・葦屋道満のお陰なのだろう。さらに緯度・経度も関係ありそうなのが興味深い。 陰陽師の物語で有名なのがこ…

軍師:黒田官兵衛を知ろう!

『播磨物語』 NHKの大河ドラマが始まる前にこの本を読んだ。官兵衛の本は何冊も出ていたが、司馬遼太郎の地元・播磨の描きかたが気になってこの本に決めた。あっという間に、4巻まで読み終えてしまった。この中に、田舎の一武士が世の中を見る力の付け方と…

楫取の名前の由来は三田尻の楫取り(船頭さん?)

江戸時代初期の小田村家は、参覲交代等の上方へ向かう萩往還の最終地、防府三田尻の水軍基地で働く操縦士の家でした。その家に養子に来た公望に、水軍の役人だった河野養哲が開いた越氏塾で住居や食事をもらい勉強までさせてもらったそう。(養子先では、両…

高杉晋作

『おもしろきことなき世におもしろく』 1839年 8月20日うまれ。 萩藩士高杉小忠太春樹・みちの長男(春風)として産まれる。 1857年 (19歳)のとき久坂に誘われ松下村塾に入門。(村塾四天王の1人) 1858年 (20歳)江戸遊学 1859年…

山県有朋のお抱え料理人:小春軒

後に内閣総理大臣になりましたが、幕末当時は兄貴分の高杉晋作とともに、倒幕に向けてだいぶやんちゃをしました。山県有朋のお抱え料理人だった小島種三郎さんが開業したお店が、洋食屋の老舗、人形町の小春軒。店名の小春軒は、種三郎さんの妻「春さん」か…

松陰の志が育てた門下生:吉田松陰

寅ちゃんの門下生すごいよね〜。 まあ、そもそも志がある人達が集まったって言ってしまえば、そうだけど。 時代と思想のマグマが、寅ちゃんの狂った熱で爆発したにゃ〜! ーーーーーーーー門下生たちーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・久坂玄…

吉田松陰と小田村伊之助の一生。

1829年 3月 小田村伊之助誕生。 1830年 8月 4日、杉寅次郎うまれる。*1 1834年 吉田大助、病死。寅次郎、吉田家の家督を継ぐ。(4歳) 1838年 寅次郎、藩校明倫館の見習教授となる(8歳) 1839年 寅次郎、藩校明倫館で山鹿流兵学の…

知は人たる所以を学ぶなり。:吉田松陰

1830年生まれ 4歳で家督継いで、8歳で教鞭とってたにゃんて、どないにゃ? ペリーが浦賀に来た時、25歳で乗り込もうとして捕まったらしいにゃ! 海外行きとうて、行きとうてしゃーにゃいにゃ、寅ちゃん。 その後、萩の野山獄に入れられ、共に捕まった…